1: 名無し募集中。。。 2018/07/24(火) 11:24:15.74 0.net
小学生の頃から『ASAYAN』を観てモーニング娘。に憧れ、13歳でグループに加入したが、
当初は同期の藤本美貴や田中れいな、後輩にして次世代のエースと待望された久住小春らの影に埋もれていた。
“格好良さ”を目指したパフォーマンスの中では抜きん出ることができず、自戒するほど自己中心的で
目立ちたがり屋だった少女は、自分の生きる道を探す日々を送る。
「後々のバラエティ番組などで面白がってもらえたナルシシストや毒舌というのも、元々は、作ったキャラではなかったんですよ(笑)。
ただ、当時は自信がなかったから、『よし! 今日も可愛い!』と鏡に向かって毎日のように自分に言い聞かせていました。
それを見た先輩方が面白がってステージなどで話してくれるようになって、『これって面白いことなんだ?』と自分でも気づいて、どんどん言っていくことにしたんです」
「毒舌も『周囲や世間の皆さんが思っているだろうこと、自分で感じたこと、そのまま口に出して言ってみよう』とやってみたら面白がってもらえた。
後に作り込んでいった部分もありますけど、生まれついてのものだったと思います。
キャラというのは『見つけたい、見つけたい!』ともがいている時には案外見つからなくて、狙わずに自然とやっていたことがさらりと受け入れられて、確立されていくことがあるんですね」
大きな転機となったのが、2006年に始まったCBCラジオ『モーニング娘。道重さゆみの今夜もうさちゃんピース』だ。
30分枠のローカル番組ながら、ここで磨いた1人しゃべりの技術が下地となり、バラエティ番組で大ブレイク。キー局の番組で引っ張りだことなっていった。
「最初は『自分のグループでの立ち位置を見つけたい! 私のことを知ってもらいたい!』という思いでした。歌もダンスも全然できないし、ソロパートもない。
そういう状況下でバラエティのお仕事をいただいた時に、『ここで頑張らないと私は本当に置いていかれる』という覚悟で頑張ろうと決めました」
「そうして番組に出演させていただく中で、ショックを受けたことがありました。
それまではモーニング娘。という守られた環境でのお仕事しかしていなかったので、自分たちが世間でどう思われているかを本当に知らなかったんです。
共演者の方に『今、何人組なの?』とか『普段どんな活動してるの?』『忙しいの?』って聞かれた時に、愕然(がくぜん)としてしまいました……。
毎週のように土日はライブをやっているのに、全然知られていなかったんですよね。
それを実感してからは、バラエティに出る時の意識の方向が、自分自身のアピールの事より『今のモーニング娘。を知ってほしい』という気持ちに変わりました。
とにかく私は、自分たちがやっていることに自信があったので『知ってもらえたら絶対好きになってもらえる! そのきっかけを私が作りたい!』って思っていました」
道重の存在をお茶の間まで浸透させた番組のひとつ『ロンドンハーツ』に初出演したのが2009年夏。
グループは高橋愛がリーダーとなってから約2年、後に“プラチナ期”と呼ばれる布陣は成熟期を迎えており、ファンの間ではすでにそのパフォーマンス技術が評価されていた時期だ。
「私がグループに加入した頃は、本当にクラスの誰もがモーニング娘。を知っていて、毎日のようにモーニング娘。について話していました。
出演した歌番組をひとつ見逃したら次の日は会話に入れないぐらいの状況でした。そのイメージのまま13歳で加入したので、時代が変わっていたことに気づいていませんでした。
だからバラエティで、自分たちの現状を知って、『いまは日本のトップアイドル=モーニング娘。ではない』ことを突きつけられたんです……」
https://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018072358111.html
当初は同期の藤本美貴や田中れいな、後輩にして次世代のエースと待望された久住小春らの影に埋もれていた。
“格好良さ”を目指したパフォーマンスの中では抜きん出ることができず、自戒するほど自己中心的で
目立ちたがり屋だった少女は、自分の生きる道を探す日々を送る。
「後々のバラエティ番組などで面白がってもらえたナルシシストや毒舌というのも、元々は、作ったキャラではなかったんですよ(笑)。
ただ、当時は自信がなかったから、『よし! 今日も可愛い!』と鏡に向かって毎日のように自分に言い聞かせていました。
それを見た先輩方が面白がってステージなどで話してくれるようになって、『これって面白いことなんだ?』と自分でも気づいて、どんどん言っていくことにしたんです」
「毒舌も『周囲や世間の皆さんが思っているだろうこと、自分で感じたこと、そのまま口に出して言ってみよう』とやってみたら面白がってもらえた。
後に作り込んでいった部分もありますけど、生まれついてのものだったと思います。
キャラというのは『見つけたい、見つけたい!』ともがいている時には案外見つからなくて、狙わずに自然とやっていたことがさらりと受け入れられて、確立されていくことがあるんですね」
大きな転機となったのが、2006年に始まったCBCラジオ『モーニング娘。道重さゆみの今夜もうさちゃんピース』だ。
30分枠のローカル番組ながら、ここで磨いた1人しゃべりの技術が下地となり、バラエティ番組で大ブレイク。キー局の番組で引っ張りだことなっていった。
「最初は『自分のグループでの立ち位置を見つけたい! 私のことを知ってもらいたい!』という思いでした。歌もダンスも全然できないし、ソロパートもない。
そういう状況下でバラエティのお仕事をいただいた時に、『ここで頑張らないと私は本当に置いていかれる』という覚悟で頑張ろうと決めました」
「そうして番組に出演させていただく中で、ショックを受けたことがありました。
それまではモーニング娘。という守られた環境でのお仕事しかしていなかったので、自分たちが世間でどう思われているかを本当に知らなかったんです。
共演者の方に『今、何人組なの?』とか『普段どんな活動してるの?』『忙しいの?』って聞かれた時に、愕然(がくぜん)としてしまいました……。
毎週のように土日はライブをやっているのに、全然知られていなかったんですよね。
それを実感してからは、バラエティに出る時の意識の方向が、自分自身のアピールの事より『今のモーニング娘。を知ってほしい』という気持ちに変わりました。
とにかく私は、自分たちがやっていることに自信があったので『知ってもらえたら絶対好きになってもらえる! そのきっかけを私が作りたい!』って思っていました」
道重の存在をお茶の間まで浸透させた番組のひとつ『ロンドンハーツ』に初出演したのが2009年夏。
グループは高橋愛がリーダーとなってから約2年、後に“プラチナ期”と呼ばれる布陣は成熟期を迎えており、ファンの間ではすでにそのパフォーマンス技術が評価されていた時期だ。
「私がグループに加入した頃は、本当にクラスの誰もがモーニング娘。を知っていて、毎日のようにモーニング娘。について話していました。
出演した歌番組をひとつ見逃したら次の日は会話に入れないぐらいの状況でした。そのイメージのまま13歳で加入したので、時代が変わっていたことに気づいていませんでした。
だからバラエティで、自分たちの現状を知って、『いまは日本のトップアイドル=モーニング娘。ではない』ことを突きつけられたんです……」
https://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018072358111.html
【道重さゆみ「モーニング娘。という守られた環境の中で仕事しかしてなかったので時代が変わっていた事に気付かなかった」】の続きを読む